あいまいなねむりのなかで

ときめくかときめかないか

さとみかずのり

かずのり、この名前をつけてくれたおじいちゃんは10年位前に病気で亡くなった、おじいちゃんは本屋をやっていて、小さい頃はよく絵本を送ってくれた、こどものともっていうシリーズ、夜寝る前に親に読み聞かせをしてもらい、お気に入りの絵本は何回も何回もリクエストしたのでボロボロになってしまった、たくさんの絵本を見て育った僕は絵が好きな子供になった

 
小学3年生の時に図工の授業で描いたザリガニの絵が先生にすごく褒められて、視聴覚室に飾られることになった、夢中になって描いためちゃくちゃな絵だったが、認められたのがすごく嬉しかったのを今でもよく覚えている、勉強も運動もだめだめだったし、学校で褒めてもらえる事なんて無かったから強く印象に残ったんだ、親に報告したら喜んでいた、おじいちゃんにも伝わっていて会いに行った時は嬉しそうにしていた、クラスの中での立ち位置は芸術の里見君になった
 
小学校を卒業する時に、視聴覚室のザリガニの絵を返してもらった、親がおじいちゃんに絵を見せようって言って家に持って行った、おじいちゃんは「かずくん、すごいな〜」と言って笑っていた、そのままおじいちゃんの家に置いておくことになって、絵に合う額縁をおじいちゃんが特注してくれた、リビングの1番目立つ壁に飾られて、親戚とかも来た時に見るだろうから照れくさかったけど、嬉しかった
 
中学生になると絵は全く描かなくなり、ゲームばかりやるようになった、特に格闘ゲーム、中でもザ・キング・オブ・ファイターズに夢中になり、友達とゲーセンに通いまくった、この話はまた別の機会に書きたいと思う
 
高校生になると格闘技観戦にハマる、当時はK-1やPRIDEが地上波のゴールデンタイムでやっていてめちゃくちゃ熱かったんだ、特にPRIDEは僕の青春だ、この話もまた今度詳しく書こうと思う、絵は少し再開して机に落書きする程度だったんだけど、知り合いの友達に絵を描く人が居て、彼に刺激を受けてだんだん描くようになった、遊ぶ時はお互い絵を描いたノートを見せ合ったり、合作したり、次会うまでに新しい絵を見せたくて頑張って描いた、ビックリさせてやりたかった、今だから正直に言うと彼の方が遥かに上手かったのですごく悔しかった、けれどそのおかげで僕は燃え始めた、また絵を描くのが楽しくなっていた
 
大学生になりインターネットに絵を公開し始める、主にpixivで活動していた、ハンドルネームはЯoeka18、当時は本名でやるなんて発想は無かった、なんでこんな名前にしたのかというと、大学でノートを提出する授業があって、教授が一人一人名前を呼んでノートを返却する際に、里見さんって呼ばれて受け取りに行くと「あれ、女の子かと思ってたw」と言われた、なんでやねんと思いつつノートに書いた名前を見たら字が汚くて和功がロエカ、カタカナに見えたのである、里見ロエカさん、たしかに女の子の名前っぽい響きだ、それをローマ字にしてRoekaでRを反対にしたのは当時めちゃくちゃハマってたKORNってバンドのロゴを真似した、18は絵を描き始めた年齢って事でつけた、地元の友達と同人サークルをやり始めたり、もうこの頃は自分は絵の人だと確信していた、そんな時、おじいちゃんの具合が悪くなって入退院を繰り返したりして、何度かお見舞いに行った、心配しつつもなんとかなるんじゃないかなという根拠のない希望みたいなものを持っていたが、なんとかならなかった、あっけなく亡くなってしまった
 
葬式とか色々あって、悲しかったけど、日々はどんどん流れていって、壁に飾られていたザリガニの絵もいつのまにか外され、返され、僕は社会人になって、少し冷静におじいちゃんの事を思い出したりできるようになって、1番最後に会った時は病室で、こう聞かれた「かずくんは今、何に興味があるんだい?」僕は絵に興味がある、と答えた、その後、色々と会話したような気がするけど忘れてしまった、おじいちゃんが笑っていた印象だけがぼんやり残っている、最後に絵の事を伝えられたのは良かったと思う、昔おじいちゃんが送ってくれた絵本が僕に影響を与え、それは今でも残っていて絵を描いている、2年位前に実家の本棚を整理した時におじいちゃんからもらった本が出てきて、パラパラ眺めていて、最後のページに和功くんへって書いてあって、ああ僕は、おじいちゃんがつけてくれたこの名前で絵の活動をするべきだって思って、Яoeka18から本名でやる事にした
 
読んでくれた方ありがとうございました
 

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